湯も・北たコラム
委員長湯本憲正と書記長北原隼人が書き込む湯も・北たコラム(旧「ノリ・スケだより」)
東日本大震災でボランティア サクラの会に参加しました
2023-12-13
東日本大震災でのボランティア活動は県庁高嶺クラブと県職労がコラボし、10~12年前、幾つかの被災地にオオヤマザクラを植樹しました。今回は11年前に岩手県大船渡市の諏訪前公園に植樹したサクラの状況確認と新たな植樹、地域の皆さんと交流を図りました。12年ぶりに訪れた大船渡市、気仙沼市、陸前高田市は海岸沿いは高い防波が続き、震災前の街跡は公園等になっていました。陸前高田市に開設された東日本大震災津波伝承館「いわてTUNAMIメモリアル」には震災時の状況・対応とともに今後の災害に向けた教訓が展示されていました。当時、訪問した仮設住宅は当然のことながら撤去され、新たな街が建設途中でした。サクラも無事に育っており、復興の一翼になっていることも実感しました。
富山県職労出身 前参議院議員の又市征治さんのしのぶ集いに参加しました
2023-12-13
12月2日、前参議院議員で自治労富山県本部委員長、富山県職労出身の又市征治さんのお別れの集いが富山市内で厳かに開催されました。又市さんは一貫して弱きを助け、強きに立ち向かう姿勢で国会での一般質問、委員会での発言を行ってこられました(通算400回以上)。これまでの功績に感謝しご冥福をお祈りします。また、交流県職労と北信地連の石川・福井県職労の皆さんとの会議も開催し、確定交渉結果とともに今後の取組についても情報交換を行いました。
北信地連 自治研究集会フィールドワーク(安茂里地区 海軍壕)
2023-11-01
10月20日、北信地連自治研フィールドワークで長野市安茂里地区の元海軍の壕跡に行きました。当日は「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の役員の皆さんにご案内いただきました。千曲川を挟んだ対面には松代大本営が望める位置にあります。元海軍壕跡は地盤が脆いため、完全手彫りとのことでした。極秘に進められた計画であったため、最近明らかになってきています。改めて平和の尊さを感じました。
浅間山演習地化反対運動に係る文化講座に出席しました(軽井沢町歴史民俗資料館主催)
2023-10-06
70年前の1953年(昭和28年)、米軍から「浅間山麓一帯を米軍基地として使用したい」と軽井沢町、県に申入れがありました。当時、日本全国で米軍基地がないのは長野県だけと言われる中で、泣く子も黙る米軍の申入れを拒否できるとは当初考えられなかったと言われました。しかし、反対運動の態勢は予想以上に急テンポで拡大され、地元住民が町当局・議会と立ち上がり、当時の労働組合の連合体であった県評も積極的に取組みました。県職労も定期大会で反対を決議し、様々な組織を束ねた反対既成同盟の事務局は県職労書記局に設置されました。基地化の予定地は、かつて満蒙開拓で分村し、再び開拓された大日向地区であり、軽井沢町をはじめ全県の青年団も立ち上がりました。そのうねりは県議会、婦人団体、労組など県民一体となった運動となりました。東大の浅間地震観測所も学術的立場から観測に支障があると表明されました。6月、軽井沢中学校講堂で「浅間山米軍基地化反対県民大会」が開催され、全県から各種団体、個人が次々に集まり、講堂は立った状態でも入りきれず、豪雨の中、周辺に傘をさしてマイクに耳を傾けたそうです。既成同盟の会長の「雨降れば降れ、風吹ば吹け、我ら長野県民は断じて浅間を守る」という決意表明は満場の歓声にの中に凛として響いたそうです。大会最後には、全員合唱で「信濃の国」をあふれる涙をぬぐいもせずに歌ったと、心は一つになったそうです。そして7月、米軍当局から申入れの撤回がなされ、県民200万人の勝利とされました。(※長野県職労誌参照)
10月1日、町立中軽井沢図書館で文化講座が開催されました。当時の特に軽井沢町民の青年団など住民の取組みについて信大の大串教授の講演後、参加者との懇談が行われました。先月、NHKBSの「新日本風土記」で「軽井沢」が放映されました。その中で「浅間山米軍基地化反対闘争」が取り上げられ、もし米軍基地が実現したら現在の文化的な避暑地としての軽井沢はなかったと、地元の青年団をはじめ、県民が一致団結したことなど紹介されました。先輩方の取組みに誇りを感じ、70年前の大会最後に合唱された「信濃の国」による団結力を実感しました。